米国公認会計士 試験情報 (U.S. CPA Exam Guide)

米国人のCPA試験の思い出

   (Memories of the CPA Exam)

米国人のCPA試験の思い出

CPAの皆で、忘れられない出来事を分かち合いましょう-

 

サミハ・カンナ著 (訳:神山 直規)

 

2015921

 

(注)この文章は、JoA(Journal of Accountancy)に投稿されたニュースを、神山が翻訳したものです。受講生の方々の参考になればと思い、掲載致します。これを読むと、米国人もCPA試験、それなりに大変そうであることが良くわかると思います。

 

 なお、本HPでは、肖像権の問題から、原文上のお写真の掲載を控えさせて頂きます。原文では、CPAの方々のお写真が掲載されています。こちらをご覧頂くと、より身近に感じられることと思います。原文が掲載されているHPアドレスは、この記事の一番下に掲載されています。

 

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  フロリダ州の首都である、タラハシーに所在する、トーマス・ハウウェル・ファーガソンにおいて、シニア監査として勤務するマット・ウォーカー(Matt Walker)君は、8月末に受験した、CPA試験の最後となる4番目の試験科目の結果を心待ちにしています。

  彼は、最終的に、自分の名前の後に、(C.P.A. という) 3つの重要な文字を入れることができるように、試験の全科目に合格することを含めて、ライセンスの取得要件をすべて満たすことを希望しています。

 

  『自分が設定した目標を達成することで、個人的な信頼性を高められるように、CPAの資格は専門的な信頼性を与えてくれるものです。』とウォーカー君は話します。『合格した最初の科目はFARでした。そのとき、僕は、まだ3つの科目を受けなければなりませんでした。でも、お母さんにも話したのですが、FARに合格したことは、僕の人生での大きな成果でした。』

 

  不運にも、勉強は、ウォーカー君の、他のやる気とぶつかるものでした。

  『そこで、僕は、仕事やニューイングランド・パトリオッツ(パッツ)、FSU・セミノールズといったフットボールのスケジュールの周りに、全体的な学習計画を立てました。』彼は、そう話してから、次のように続けました。『僕は、フットボールが大好きなんです。だから、パッツやセミノールズのゲームがある間に勉強するときは、すごく苦痛なんです。』

それでも、彼は、数週間の間、友人や家族から距離を置いて過ごすこととしました。

 

  年齢に関係なく、CPAの人々は、皆、厳しい試験を受験してきたのです。それは、大学生のSATや、法律家の司法試験(Bar Exam)と同じようなものです。CPA試験は、単なる試験ではなく、それ以上のものがあります。それは、専門家になるための登竜門の試験であるとも言えます。ほとんどのCPAの人々は、合格という目標地点に到達するために、長時間、または深夜、山のような教材を勉強したことを思い出しますよね。

 

 現在のCPA試験は、定期的な見直しが行われているそうです。

(http://www.journalofaccountancy.com/news/2015/sep/cpa-exam-proposed-changes-201512929.html)

  その結果は2017年に更新されるそうですが、ここで、何人かのCPAの方々に、試験勉強と受験に関する話をお尋ねしたいと思います。

 

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ジョー・マークベイン(Joe Marchbein) さん (CPACGMA)

ジャック・P・フィッター、マネジャー、CPAAPC

モンタナ州 チェスターフィールド

 

  『仕事をした日は、家に帰った後、妻と子供にキスをして早めに夕食をとる。それから2階に上がるのさ。』と話すマークベインさんは、1985年、31歳で試験を受験しました。

  『ドアを閉めて部屋に入った後、数時間勉強をした。最初で合格しなかったら、そんな事は2度としたくないと誓って言える。それほど、試験に合格するための生活は大変だった。しかし、そうした生活を送ることで、真剣に勉強して合格するよう、自分を強制させたのだと思う。だから、そんな事を、また繰り返したいとは思わないのさ。

 試験の結果が来たときは、すごく安心したよ。心底リラックスしたかった。それで、セントルイス・カージナルスとピッツバーグ・パイレーツが試合をするのを観ながら、ハンバーガーとベイクト・ポテトを食べたんだ。

 妻は、私の手書きは読みづらいので、試験の審査官は読めなかったはずなのに、よく私が試験に合格したものだと言ってくれる。これは、妻のユーモアさ。』

 

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マイケル・J・エリオット(Michael J. Elliott) さん (CPA)

ディトリック・アンド・アソシエイツ社、代表

オハイオ州、バートン

 

  『CPA試験は、これまで受けてきた中で、特にもっとも難しい試験でした。私は、結婚してから数か月後に勉強を始めました。この頃は、終日仕事をしていました。週に大体60時間ぐらいです。それでも、試験のために週15時間から20時間くらい、勉強をしました。

 当時、妻は、私を見ることがほとんどなかったため、結婚した記憶がほとんどないとジョークを飛ばしてくれます。

 私も、監査の試験科目に大変こだわっていたので、受験のために大学の監査の教科書を暗記したことを覚えています。(実を言うと、私は税金の方が好きなのですが。)』

 

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ジーン・L・ヴィーナー(Jeanne L. Wiener) さん (CPAPFS)

クレイグ・アンド・カンパニー・LLP、税務マネジャー

カリフォルニア州、マウンテンビュー

 

  『試験は、1983年にロスで受験しました。それは、スポーツ・アリーナで、何千人もの人たちと、2日間、試験を受けるというものでした。アリーナの床の上に設置された長テーブルの上には、No.2の濃さの鉛筆だけが置かれていました。

 私のCPA試験の先生は、もし問題に行き詰ったときは、席を立ってアリーナの中を少し歩くようにと教えてくれました。そこで、私は、問題を解くのにどうやって答えようか、迷った際、席を立って周りを半分ほど歩いた後、走って席に戻り、答えのための式を書きました(まだ、計算をする時間はありましたから・・・)。答えを書いた直後、試験官が鉛筆を置くように告げたのです。

 審査官は私の答えを認めてくれたようで、私は試験に合格しました。 会計士審査会が認定証を発行した後、私は、(現在の主人である、当時の)ボーイフレンドと、できるだけ高価で品のあるレストランで夕食を取ったのを覚えています。』

 

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ニック・ウィグルスウォース(Nic Wigglesworth) さん (CPA)

アンダースCPA・プラス・アドバイザー

シニア税務サービス

セントルイス

 

  『CPA試験の最後の科目の日、私は、ちょうど家から1マイル(約1.6km)ほど離れたところにいましたが、なんと、私の車の前で、ほかの運転手が赤信号で左折したのです。それで、私の車の横にT字型にぶつかってきました。普通なら、これは不幸な経験ですね。でも、最後の科目の試験に歩いていくことが出来る喜びから、自動車事故があっても落ち込むことはなく、安心しました。

 数週間後、私の車は廃車になるとの知らせがありました。しかし、この悪いニュースも、最後のCPA試験科目に、正式に合格したことを知って、打ち消すことができました。』

 

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ジョイ・C・チャイルド(Joy C. Child) さん (CPAPFS)

AAFCPA、副社長

マサチューセッツ州、ウェストボロー

 

 『私の両親の友人の一人は、CPAでした。それで、私の母は、私が会計を専攻するなら、最終的な目標はCPAになることだろうと考えていました。

 私が、最初にCPA試験を受験したのは1978年、カンザス州のウィチタ州立大学でした。そこは、私が高等教育を受けた場所でもありました。

 最初に試験を受ける前、私は、自分の点数が何点になるか、非常にはっきりとわかっていました。試験中、私は意識を集中させ、急いで数字を書きました。採点結果が来たとき、すべての数字は、私が思っていた一桁(one digit)の数字の中にありました。

 あれから、職業に就いて37年が経ちますが、私がCPAの資格を取得したのは良い判断だったと思っています。』

 

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著者 サミハ・カンナ(Samiha Khanna) さん

 

サミハ・カンナさんは、ノースカロライナ州、ダーラムで活動するフリーライターです。

原文が掲載されている、次のHPサイトもご覧下さい。

http://www.journalofaccountancy.com/newsletters/2015/sep/memories-of-cpa-exam.html#sthash.Qo3plMjO.dpuf